昔の暮らし
・昭和30年代頃まで馬と牛と一緒の家で、4割ぐらいが茅葺の家。馬が日の当たる一番いい場所にいた。馬や牛に農具を引かせて、馬のたい肥を肥料にした。
・山から落ち葉をさらって、馬の敷き藁を農地にまき、庭の剪定枝(かっちき)の先の方を田んぼにいれた
・自給自足の暮らしで各家庭で味噌、醤油を作っていた。暖房には薪を使っていた。
・どの家にも井戸と使川(川のほとりにある洗い場)があった。川で洗濯、食器を洗った。
・農家であっても収穫したお米は税金として供出する必要がありお米は食べられず、うどん、そば さつまいもなどでおじやや、おすいとんを食べていた。かぼちゃを食べ過ぎて肌が黄色くなった。
・干し草、木の葉をひろって、薪にまきつけて、学校まで持っていった。
・春、夏、秋3回桑の葉を蚕に食わせるため、びくを持ってくわの葉を集めた。
・熱いお湯の中で糸をとった後にでてくる「さなぎ」を食べた
・みんな格差がなく、幸せだった。物がないからほしいものがない。
(移動など)
・昭和30年頃~40頃まで自転車で移動をしていた。オート3輪(三輪のバイクのようなもの、ハンドルはバイクそのもの、後ろには荷台があり、物を運搬できる便利な車)に乗っていた。
・昔は国鉄の線路を歩くことができた。米買(やみ米)の人が、富士見の駅に集荷場があり、トンネルをこえて往復した。
(出典)五味一麿さん、五味佳信さん、佐久たけ子さん、藤沢あきらさんからの聞き取り