阿弥陀堂
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先祖申傳の事項
[阿弥陀如来、釈迦如来、地蔵菩薩の三尊は乙骨太郎左エ門
(安利)の護持仏なり、然るに太郎左エ門は初め自家に庵室を立て阿弥陀、釈迦如来の二尊を安置し、堂庵の山号を丸林山、寺号を法栄寺と父の法名(繁室法栄禅定門}を片取り、丸林山法栄寺と申す也} とある。 阿弥陀堂沿革誌に
[太郎左エ門(安利)卒去(元和2年、1616年) 后檀徒中相談の上、慶安元年(1648)創立せしものにして阿弥陀仏を安置すると同時に太郎左エ門の異を祭り尚、繭来末孫占の異を祭り永久供養の目的にして建設せしものとす。]
とあるが別葉に今の地に移動せるは寛政元年(1789)なりともある。
この事項について歴史研究者によれば村の別葉の記録や口碑から寛政元年は誤りだろうと述べている。
時代は下って明治になって長野県知事から仏事部門と財産管理門を分けるべきと指摘され仏事は三光寺に頼み世話人は財産管理に務めるようになった。
(出典) 阿弥陀堂沿革誌 五味洋一さん阿弥陀堂の今
